補聴器 【その5】ベルとヘレンケラー、そして耳の日

ベルとヘレンケラー、そして耳の日  

グラハム・ベルと聴覚障害

  補聴器が開発される歴史の始まりはアレキサンダー・グラハムベルが電話
を発明した1876年と言われています。ベルは電話の発明で得た莫大な財産を

聴覚障害の教育と研究に投じ、電気的な補聴器の原型を開発しました。
実はベルの母親も、そして最愛の妻も聴覚障害者だったのです。電話の発明
は耳の聞こえる人と聞こえない人との決定的な情報量の格差を作り出し、

かえって家族に寂しい思いをさせるという皮肉な結果につながったのです。

 耳が聞こえない、言葉を話せない、目が見えない。この大変な障害を背負った

ヘレンケラーが、後日めざましい成長を遂げたのはベルのおかげであった事は

あまり知られていない話です。1894年、ヘレンケラーの教育相談を受けた

ベルが紹介したのが、あのアン・サリバン先生だったのです。

 


耳の日とベル

 3月3日を「耳の日」と決めたのも(1954年)3という数字が耳に似ていて

語呂がいいという理由だけではありません。ベルの誕生日、1847年3月3日を

記念したものでもあるのです。

 1879年にベルは聴力計を考案し周波数ごとに音を正確に測定する装置を

製作しました。このおかげで今まで全く聴力がないと思われてた聴覚障害者にも、

残存する聴力があることが明らかになったのです。その後、音の強度を示す単位

は、ベルの名前をとってデシベルと決められました。

 ベルは1898年(明治31年)に日本を訪れています。東京、京都などで講演を

行い、日本の盲聾学校は聾学校に分けた方がいいこと、聴覚障害児には

早期教育が重要であることを演説し、それらは全て実行されています。